『壊れる日本人―ケータイ・ネット依存症への告別』 柳田邦男(著) -新潮文庫-

特に後半、最近の少年少女の引き起こす重大犯罪を個人の引き起こした犯罪ではなく、現代社会の必然の中から引き起こされた犯罪として捉え、具体例を多方面から引用し、何が問題なのかのみならず、どうすればいいのかまでをも言及している。
少年少女の犯罪を、その親の世代の問題、その親の親の世代の問題にまで遡り、原因が追究されている。
つい先日読んだ、吉本隆明氏の「真贋」でも、吉本氏は”その人の性格/人格(←すみません具体的な表現は忘れました)”の7~8割は、幼い頃に母親とどう係わったかで決まってくる。
残りの2~3割が、成人してからの本人の努力で変えられる部分、と言ってた。
本書でも実際に犯罪を犯した少年少女が、どのように両親と係わってきたのか? 「普通の家庭」は実際は「異常な家庭」であり、大多数が「異常な家庭」であるため、誰もそのことに気がついていないのではないか? 等等を問題として取り上げている。
内容はわかりやすく、参考になった。
ただ、ちょっと茶化して言えば、それ以外にも、文中で「ケータイやインターネット自体を否定はしないが...」とは書いているが、柳田氏がケータイ、インターネットは大嫌いで触りたくもないと考えている事もわかった。
それと恐らくケータイ、インターネットとも、ほとんど触った事がないのではないかとも、想像できた。
ただこれは茶化してみただけで、本書の内容を否定はしません。
もう少し...と言うかもっともっとドップリ、携帯電話や、パソコンを実際に使ってみて、「断固否定」以外の角度からも考察してみてほしかった。
この角度への配慮は「それ自体を否定はしないが..」と言うような表現が2~3回出てきたくらいしか見られない。
柳田氏の提案している、ノーケータイデー、ノーテレビデーは、確かに良いと思うが実践は無理だと思う。たとえ国民の1割での実施を目標にしても無理なのではないか。
私もこれは非常に大きな問題ではないかと思うが、柳田氏の言うように、人に、大きな問題であることをわかってもらう事が、実際に目に見える問題ではないので、難しい。
何かもっと目に見える問題として、レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いたような、アル・ゴアが「不都合な真実」で示したような..(アル・ゴアの場合は「不都合な真実」の内容ではなく、これを利用した政治活動のほうに目的があると思うが..)、柳田邦男氏が私たちの前に明確な事実を持って説明してくれないか、期待したい。
確かに本書で示されている事例も、明確な事例ではあるが、誰もが我が身で現在進行中の問題として捉え、ケータイ、ネット、テレビに無意識のうちに中毒化していく事態を、自分で思いとどませるほどではないと思う。
本書の言う問題とは違うが、意味もなくテレビやネットをダラダラと見ている時間が、1年に何時間か考えたら恐ろしくなる。
もっと有意義な事に使うべきなんやろ~な~...。
誰もがわかっちゃいるんだけどね。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://321.blog45.fc2.com/tb.php/477-8d497bdd